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明治時代 −−1868年−− |
明治維新によって江戸幕府がたおれ、いくつかの県がおかれました。 |
- ◆ 明治4年 ◆
- 廃藩置県が行われ、今まで細かく分けられていた県をいくつかにまとめ、
11月14日に「埼玉県」と「入間県」が誕生しました。
◆ 明治6年 ◆
- 「入間県」は「群馬県」といっしょになり「熊谷県」になりました。
◆ 明治9年 ◆
- もとの「入間県」が「埼玉県」といっしょにされ、ほぼ今の「埼玉県」の地域ができあがりました。
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明治9年の「武蔵国郡村誌」によると・・・
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家の戸数 |
人 口 |
町村数 |
明治9年 |
168,820戸 |
896,107人 |
1,934 |
明治21年 |
「市制、町村制」が公布された。 |
↓ |
明治22年 |
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409 |
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当時の駅は、上野、王子、赤羽、浦和、上尾、鴻巣、熊谷
だけでした。
1日2往復、4両編成で1つが特等と上等で他の3つが下等でした。
料金は、上野から熊谷まで
- 【 特 等 】が2円
- 【 上 等 】が1円20銭
- 【 下 等 】が60銭(馬車は85銭)
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- ◆ 明治17年 ◆
- 「秩父事件」が起こりました。秩父の農民たちが苦しい生活をよくしてほしいと起こした事件ですが人々のくらしに変化はありませんでした。(T_T)
◆ 明治43年 ◆
- 荒川、利根川は、水害の歴史のうえで例をみないほどの大きな水害がありました。
つぎの年から荒川の改修工事がはじまりましたが、埼玉県はずいぶんたってからはじまりました。まわりのたんぼの耕地整理といっしょに行われたのでひじょうに大がかりな工事で45年間もかかりました。
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大正時代 −−1911年−− |
- ◆ 大正11年 ◆
- 埼玉県下ではじめて「川越」が市になりました。
◆ 大正12年 ◆
- 関東大震災のあと、東京の山の手ににた条件をもつ県南の『 ま
ち 』が安全な住宅地として注目され、うつってくる人が多くなりました。
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昭和時代 −−1925年−− |
京浜東北線の開通によって、県南と東京のむすびつきはより強くなりました。 |
- ◆ 昭和20年 8月14日の夜 ◆
- 熊谷市が空しゅうをうけました。戦争が終わる前の夜でしした。
◆ 昭和22年 9月キャサリン台風上陸 ◆
- キャサリン台風が上陸し、県内は大災害に見舞われました。県内のほとんどの川があふれたり、堤防(ていぼう)がこわれたりしました。
これ以来毎年のように台風の被害がありましたが、県内は復興につとめ、また、国や県のはたらきによって、上流に二瀬(ふたせ)ダムがつくられたり、堤防工事が進められたりして、水害は少なくなってきました。
◆ 昭和42年 ◆
- 「埼玉国体」が行われました。上尾市の陸上競技場を中心に県内にはりっぱな運動施設ができました。
◆ 昭和46年 ◆
- 埼玉県が誕生して100年目になりにきまりました。
この年に県立博物館やさいたま水上公園がつくられました。
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- 平成12年5月浦和市・大宮市・与野市にまたがる「さいたま新都心」が
街びらきをしました。
- 9月には、埼玉スーパーアリーナもオープンします。
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