****************************************************
こいのぼりの歴史
****************************************************

5月5日は「子どもの日」ですが、もともとは 「端午(たんご)の節句 (せっく)」といわれ、
男の子の祭りの日でした。
3月3日の女の子の「桃の節句」とならんで、古くから行われている年中行事のひとつです。

5月5日を端午の節句にしたのは、中国の漢(かん)の時代のころからで、 その頃の中国の人たちは、野原に出て、よもぎや菖蒲(しょうぶ)などの 薬草(やくそう)をつむ日にしていました。
そのならわしが、日本にはいってきて、菖蒲をさし、 武者人形(むしゃにんぎょう)を飾る日にかわり、 やがて「子どもの日」として、1948年から国民の祝日になりました。
菖蒲 菖蒲 菖蒲
ちょうど5月は菖蒲の花の咲く頃で「菖蒲の節句」ともいわれてきました。
菖蒲は 尚武(しょうぶ)<武をとうとぶ>と 同じ発音なので、江戸時代の武士は、子ども達が、強くたくましく育つために、5月5日になると、家の中に、 よろいかぶと、太刀(たち)、太鼓、 それに金太郎や強そうな武者人形を飾りました。 いさましい武士になってほしいという気持ちのあらわれなのです。

こいのぼりは、それに対抗して町の庶民(しょみん)がたてたのが始まりで、 これも江戸時代からのならわしです。

滝をのぼる本物のコイのように、男の子が元気に大きくなることを願って、家族のものがたてます。 また「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください」と天の神様に伝え、 守っていただく意味があるとも伝えられています。

こいのぼり その日は、お風呂にも菖蒲の葉をうかべ、子どもたちをそのお風呂に入れると丈夫に育つといわれています。

また、家の屋根の軒先(のきさき)にも菖蒲とよもぎの葉をさします。 このにおいの強い薬草で悪魔払いをするのです。 これらの行事のならわしは、いまでもそのままおこなわれています。

また、そのころ、たこあげをするところがあります。浜松市では太平洋岸の大砂丘でおこないます。 男の子の生まれた家では、その名前を書いた大きなたこを、近所のこどもたちや青年に あげてもらいます。

こいのぽりは、最初、手すき和紙を使い、手描きで作られていました。 その後、油紙、綿と破れにくいものへと変わり、 現在のナイロン製になったのは1957(昭和32)年からです。 その時の色は黒と赤の2色という地味なものでした。

現在では「真鯉(まごい・黒)」 「緋鯉(ひごい・赤)」 「子どもの鯉(青)」 「吹き流し(五色)」で ワンセットとなっているものが一般的です。 五色の吹流しは、子どもの無事な成長を願って「魔よけ」の意味で飾られました。 カラカラと回る矢車も同じような意味をもっています。

5月に行われる日本各地の行事
【節句(せっく)の 祭(まつり)---神奈川県津久井郡
神奈川県津久井郡で、5月4日の夜の行事。座敷の隅にむしろを敷き、いろいろな道具を飾り、 クサノハナと称してもちぐさを桝(ます)の中に敷き、ご飯を盛って供えます。
この日、山芋を食べないと、蛆(うじ)になるという伝えがあります。


【四日(ゆっか)の 日(ひ)---沖縄地方
沖縄地方で旧暦5月4日をユッカノヒと呼びます。 海岸の地方の村々では海祭りを祭り、爬竜船(はりいせん)『ペーロン』の 競漕(きょうそう・ボートを早くこぐ競争)行事を行います。 また、那覇地方では、玩具市が立ったり、子どもたちに玩具(おもちゃ)を与えたりします。

当日は、若者たちがそれぞれ船に工夫を凝らして集まり、入り江で鉦(かね)を 打ち、
ハアリーの歌を歌いながら部落(ぶらく)同士で競漕します。
翌5日は後生爬竜船(ごしょうはりいせん)といって、 漁業の中心地である糸満地方(旧島尻郡)などでは一日海に出ず、仕事を休む村が多いです。

なお、昔の爬竜船競漕はとてもはげしく、家を出る時にお別れの盃をする家もありました。 競漕に勝った部落は、その年豊漁になるといいます。


【加茂競馬】---京都市北区上加茂、加茂別雷神社
5月5日、京都市北区上加茂、加茂別雷神社の行事。加茂祭りの走馬の行事を移したものとも、 宮廷(きゅうてい)行事の武徳殿(ぶとくでん)の競馬を とったものともいいます。


【おしくらんご】---岡山県笠岡市金浦
岡山県笠岡市金浦で、旧5月端午の節句に行われる競漕行事。


    「加須とこいのぼり」へ

このサイトに関するご質問、お問い合せは webmaster@j-pca.netまでどうぞ。